good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

ネタバレ含む

シン・エヴァンゲリオンのネタバレを含む感想を書いておく。
エヴァの感想なんて「観た」の一言で十分だろうと思ったのだが、他の方の感想を読んでいるうちに少し書きたくなってしまった。
鑑賞する予定がある方は読まずに頂きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すごくよかった。いい意味で裏切られた。
まさか「あの庵野さん」が「すかっと爽やかな大団円」に極振りしてくるとは、さすがに予想外だった。

 

全体としては「エヴァ制作陣が作った豪華なファンサービスディスク」と表現するのが妥当か。
テレビアニメ版第弐拾六話の学園エヴァのスケールを大きくしたような印象を受ける。

 

つまり、これは一応エヴァの名を冠しているものの、限りなくエヴァに近い別の何かだ。
よって従来のエヴァの文脈で観ると期待外れになるケースもあるかもしれない。

 

従来のエヴァとはすなわち、血の付いた包帯に薬品とビーカー、人気の無いマンモス団地に響く重機の音、異様に細い胴体と猫背体系の決戦兵器、全員が何らかの精神疾患を抱えた(としか思えない言動を行う)登場人物達、これらの構成要素で形成された物語である。「病の時代」をアニメーション作品に落とし込んだのがエヴァンゲリオンの重大な魅力であることは間違いないが、シン・エヴァにはそれらが無かった。(もっと言うと新劇場版全体に亘って「病」は剥がれ落ちている)

 


その一方、一見するとテーマは旧劇と同じようにも見える。

 

「アニメばかり見てないで他者とコミュニケーションを取って真っ当に生きろ」

 

この焼き直しに見えはするが、私には、その対象の向きが逆になっているように思えた。
つまり、旧劇ではオタクに対する痛烈な批判だったメッセージが、本作ではエヴァンゲリオンの登場人物に向けられた救いの手という解釈である。

 

「いつまでも病的なアニメのキャラクターを演じずとも、他者とコミュニケーションを取りながら真っ当に生きる道だってあるんだよ」

 


これが20年前の公開作品なら、オタク憎しでまた同じ説教を繰り返してると捉えられなくもないが、当初公開予定日換算でも25年が経っているわけで、当時のファンの多くはちゃんと家庭を築いたり、仕事に精を出していたり、皆それぞれ真っ当な人生を送っている(ハズだ)。さすがにそれくらいは制作陣も理解しているに違いない。

 

そこで気になるのが、エヴァに熱狂したファンは真っ当に人生を送っている傍ら、エヴァの登場人物達はどうなるんだよ、という問題である。十四歳の少年少女はわけのわからぬ決戦兵器に乗ってわけのわからぬ敵と戦いわけのわからぬご都合主義で非業の最期を迎えて、ファンはその病的な物語を手放しで称賛して、もっと尖ったものを見せろと煽り立てる。

 

長きに亘り我々の期待に応え続けてくれたチルドレンを、エヴァの呪縛に捕らえたままに終劇ってどうなのよ、さすがに可哀想じゃないか?
そのような、子を持つ親のような視点に対するアンサーかつファンサービスであると、私は受け止めた。

 


新劇場版・Qに出てきたセリフ。
一度しか観てないのでうろ覚えだが、たしかアスカがこんなことを言っていた。

 

私はエヴァの呪いで身体が成長しない。

 

視聴時はいまいち上手い設定(あるいは言い訳)に思えなかったが、本作を観てようやく合点がいった。
そういうことか。

 


遅すぎるくらいだが、いい加減に彼・彼女らをエヴァンゲリオンから解放してあげるのは英断だと思う。
フィクションの登場人物にだって人生はあるのだ。
現実と同じく一筋縄ではいかないかもしれないが、少なくとも希望は存分に描かれている。

 

全ての元チルドレンに幸あらんことを。