good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

ネタバレ含むの弐

周囲の知人も一通りシンなんとかを観たのであれこれ感想を交換し合っていたところ、2ちゃんねるが大変荒れているとの情報を耳にする。早速、最も活況であろうなんとか板を開いてみたところ、そこに並ぶスレッドタイトル群に渦巻くドス黒い怨嗟の念を目の当たりにして、彼らには悪いが、思わず笑ってしまった。

 

主に26年間アスカを想い続けたファンの恨みが強いようで、気持ちは分からなくもないが「お前らそこまでか…」と若干ドン引きしながら流し読みしつつ、しかしこの感覚はどこかで見覚えがあるなと思えば、それはタクティクスオウガであった。

 

どういうことかと言うと、前回か前々回に書いたような気もするが、物語の登場人物の都合も考えてあげろよという話である。

 


タクティクスオウガは言わずと知れたSFCの傑作シミュレーションRPGで、本作を語る上で外せないのがカチュア姉さんの存在である。主人公である少年ゲリラ兵デニム・パウエルくん16歳は民族紛争に荒れるヴァレリア諸島の弱小民族ウォルスタ人で、彼に残されたたった一人の肉親が姉のカチュア・パウエルさん18歳。このカチュアさんが、とにかく徹底的にほぼ例外なくプレイヤーから嫌われているのである。

 

というのも、確かにデニムくん視点やプレイヤー視点からすると、カチュアさんの言動はかなり煩わしい。せっかくプレイヤー(デニムくん)が発起して「この戦乱のヴァレリアの大地に、僕が泰平の世を作ってみせるッ!」と意気込んでいるのに、「そんな危ないことはやめて、姉さんと二人で静かに田舎で暮らしましょう。戦争だなんて……、そんなの犬死にするだけよ」などとやけに現実的で辛気臭いお説教と直接的な介入を、何度も何度も繰り返して水を差してくるのだ。その様相は今で言うヤンデレという表現が非常に近く、弟を溺愛するあまりのカチュアさんの言動は、単に面倒くさいのレベルでは収まらず、深刻な悲劇を呼び、シナリオのうねりの根幹を生み出すこととなる。

 

というわけで、カチュアさえいなければ、カチュアが大人しくデニムを応援していれば、のようなカチュア害悪論が成立しているようだ。

 

しかし、私はプレイを終えて人の感想を読むまで、カチュアさんがそこまで嫌われているとは思いもしなかった。だって考えてもみてほしい。プレイヤーにとってのカチュアは「主人公にへばりついてるだけの口やかましくて面倒くさい女」かもしれないが、そのカチュアにはデニムと共に過ごした16年があるのだ。

 

オウガバトルサーガ第7章である本作は、前作『伝説のオウガバトル』が大陸における大規模な戦争を、英雄譚として言わば寓話的に描いているのに対して、本作では小さな諸島の中での緊迫した小国家間の紛争をより低い視点で詳細に描いている。小国間の紛争に島外の大国が介入するというストーリーは、ユーゴスラビア紛争を始めとする現実に起こった各地の民族紛争をモデルとしている[6]。 日本には馴染みの薄い[7]民族対立がテーマ。劇中ヴァレリア島では多数派「ガルガスタン人」、支配層「バクラム人」、少数派にして被差別層「ウォルスタ人」がそれぞれ一つの陣営を形成して内戦を戦っており、民族浄化や強制集住など、その対立は非常に根深いものとして描かれている。

引用元:ウィキッペディア

 

主人公が属するのは少数派にして被差別層「ウォルスタ人」である。この状況でたった一人のかけがえのない弟が「ぼくは戦って新世界の神になる!」などと言い出したら、普通は姉として止めるのが当然ではないか。むしろ「そうね!あなたならやれるわ!姉さんも一緒に戦わせて!」なんて言い出す方がどうかしているのだ。

 

このように、客観的に見れば一考の余地があることでも、物語で直接描写されていない時間については、あたかも「存在してないもの」のように処理してしまう読者やプレイヤーは意外に多いのかもしれない。


何を言いたかったのかよく分からなくなってきたが、なんか似てるな、と思った次第である。(今回のヘイトがキャラクターではなく主に制作者に向いているという違いはあるにせよ)