good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

2021年3月8日(月)

 

3:06

 

精神的な動揺がますます激しくなっており、いつにも増してまとまりがなくなる予感しかしない。あと数時間でエヴァンゲリオンの最終作、と呼ばれるもの、の劇場公開が始まる。

 

二週間ほど前、突然に伝えられた公開日確定の報を聞き、速やかに有給休暇を申請して、3月4日(木)0時過ぎには本日9時20分のチケットを押さえた。普段だらだらと物事を先延ばしにする私としては驚異的なまでに準備が万端だ。しかし今現在の感情としては「見たくない」の一言に尽きる。

 

いや、本当に、マジで見たくない。なぜ公開してしまうのか。なぜ終わってしまうのか。ずっと終わらない夏休みのままでよかったじゃないか。勘弁してくれよ。

 


アニメに限らず映像作品全般が苦手である。こういう輩に共通しているのは、数十分なり数時間なりを席に座りモニターを注視するだけの継続的な集中力に欠けている点であり、私にはそれが今も昔もまるでない。よって子供の時分からアニメ作品はほとんど目にしておらず、エヴァンゲリオンについてもテレビ放映時は見ていなかった。しかし、界隈が騒がしいような雰囲気だけは感じ取っていて、特に当時購読していたゲーム雑誌の一コラムにやたら熱量の籠った文章が載っているのを読み、そこまで言うなら最終話だけでも見てみるかと、例のおめでとうエンディングだけを視聴することになったのだ。さっぱり意味がわからなかった。アニメ文化に疎いため、それが異常なものであることが分からず、アニメファンとは随分おかしなものを好む生き物なんだなという感想を持ったように記憶している。

 


一年ほど経ち、偶然再放送を見た。ドハマリした。既に最終話を知っているため、結末に対して失望もなく、むしろ完璧だと思った。雑誌インタビューなどを読むに、制作スケジュールのどうしようもない遅延から生じた最終手段であり、完璧とは程遠いものであることをのちに知ったが、優れた作品は制作者の想像の枠を破って消費者の心に訴えかけるのである。

 

今から思うと、私が基本的に物語のオチをあまり気にしないのは、エヴァの影響が強いのかもしれない。そんなものは消費者が勝手に想像すればいいことで、作り手に何でもかんでも委ねるのは甘えなのだ。

 

ついでに書いておくと、私が村上龍作品を好むのはエヴァが入口となっている。鈴原トウジに相田ケンスケ。彼らは愛と幻想のファシズムの登場人物から名前を借用されている(中身はまるで関係ない)。当時、エヴァが大量のコラージュで作られた作品であることを知り、以降、かなりの時間を元ネタの確認に割くことになる。その中でも特に感銘を受けたのは、綾波レイのモチーフの一つになっている筋肉少女帯の一節である。

 

神様に
おまけの一日をもらった少女は
真っ白な包帯を顔中にまいて
結局 部屋から出ることがなかった
神様は憐れに思い
少女を切手にして
彼女が何処へでも行けるようにしてあげた
切手は新興宗教団体のダイレクトメールに貼られ
すぐに捨てられ
その行方は 誰にももうわからない

引用元:筋肉少女帯 何処へでも行ける切手

 


1997年。旧劇場版(Air/まごころを、君に)を観に行った。全身の力が抜けた。劇場の数百席はほとんど埋まっていたはずなのに、物語が後半に入ると誰の気配も消えて、エンドロールが流れても呼吸をするものはいなかった。全身で絶望を体現したオタク野郎どもが足を引きずりながら劇場の外に出ると、ぶ厚い夏の日差しに押し潰されそうになった。

 


2007年。新劇場版・序を観に行った。さすがに「またやるのかよ」という思いは否めなかったが、素通りするわけにもいかなかった。劇場用で尺が短くなっているためか、あるいは作られたタイミングが異なるせいか、病の時代の空気が酷く薄くなっている点は不満であったが、至極真っ当な少年ロボットアニメとなっており、庵野さんも大人になったのだなぁと、誰から目線なのか分からない感想を持った。

 


2009年。新劇場版・破を観に行った。また絶望に包まれた。やっぱりこうなるのか。アスカはまた酷い目に遭うのか。次回予告で元気に動くアスカの姿が見れなければ、向こう三年立ち直れなかったと考えると今でも恐ろしい。劇場を出てすぐにSMSで知人に充てて「アスカが!!アスカが!!!」とメールしたことを記憶している。

 


2012年。旧劇場版・Qを観に行った。もはや庵野さんにまともにストーリーを畳む能力もなければ畳むつもりもないことは分かっているため、特に期待もしていなかった。新組織のヴィレやらビーストモードやら、全体的にセンスがダサくなっている点が気になったが、結末は好きだ。旧劇で抜け殻となったシンジに首を絞められ殺されそうになったアスカが、今度は失意の底にあるシンジの手を取って共に未来に向かって歩いていく。素晴らしいじゃないか。こういうのでいいんだよ、こういうので。

 


4:18

 

2021年。公開まであと5時間。寝ている時間はないため徹夜で行くしかない。そしてやはり観たくない気持ちに一片の動きもない。なんなんだろうな、これは。夏休みの最終日にまるで手付かずの宿題を抱えているような、もはや手遅れであることは明白であるのに焦りばかりが無駄に募る、あの時と似たような心境だ。

 

だいたい不意打ちがすぎる。最初の延期で公開日を1月に設定した時は、それが不可能な日程であることはすぐに分かった。例年でもインフルエンザが猛威をふるっているタイミングで公開できるわけがない。その予想は当たったものの、まさか3月冒頭に移動させるとは思わなかった。こっちは心の準備に時間がかかるのだ。余裕をもって、少なくとも3ヶ月前には告知してもらわないと困る。困るのだ。


とはいえ、庵野さんも今は結婚して幸せな家庭を築き、安定した精神状態であると伺える。今度こそ我々にすかっと爽やかな大団円を見せてくれる可能性は残っている。

……残っているのか?

……本当に?

 

そんなわけがない。どうせまたろくでもない、酷い目にあわされるに決まっている。25年にも渡って定期的に植え付けられたトラウマを、せっかく自分に都合のいいように解釈して心を安定させているのに、また滅茶苦茶にされるに決まっているのだ。

 

勘弁してほしい、マジで。

 

12:12 追記

 

観てきた。