good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

 他人の夢の話を聞かされるほどくだらないことはないが、私は私なので、何らか意味のあるものが出てくるかもしれない、という期待を込めて書いてみる。起きてからも記憶に残るような夢を見ることは滅多にないし、何より、なぜこんな夢を見たのかが全く分からない。

 

 何度繰り返されたのかもわからない雪山登山のアタックで、その時は特に「ヒキ」が悪かったようだ。開始早々、猛吹雪で前にも後ろにも進むことができない。一歩もだ。私はパーティーの中の一人の女性と共に、早々にキャンプを張ることになった。しかしこれはどうやら半分ゲームの世界のようで、自分が多くの経験を有していることがわかり、どこか落ち着いていた。この程度のアクシデントに怯むことはなかった。そして実際の所、これは一回きりの夢ではなく、結構な長編であるかのような気がしていた。といっても夢は夢なので、一度目なのか、何ヶ月にもわたるのか、何年にもわたるのか、それは全く判断つけようがないのだけれど、体感的にはここ数カ月の間に何度か見た連作ものではないか、というのが一番確からしいように感じられた。女性は固形燃料でスープを作っている。完全に目が死んでいる。ぶつぶつと独り言を繰り返している。パーティーメンバーもこのゲームに幾度ものチャレンジをしていることを、私は自分の夢なので、知っているのだけど、だからこの程度のハマり方で彼女の目が死んでいるワケも、理解できてしまったような気はした。テントの外は目を開けることもできないほどの猛吹雪であるはずなのに、一切の音はしなかった。テントを張っているはずなのに、ゴツゴツとした剥き出しの地面が不自然だった。ポリゴンを突き抜けているというわけではなく、単純にそこには土肌と岩肌がのっぺりとない交ぜになっていた。申し訳程度にバタバタとはためくテントの生地が、チープながらも最低限のリアリティを演出していた。ニンテンドー64で演算されたリアルタイムムービーのような現実感だった。

 

 「ねぇ、覚えてる? 最初の時も同じだったよね。君とこうして二人でテントに閉じ込められて、そうしてあっけなく死んじゃった。だって、あの時は私たちは何も知らなかったもの」

 

 そうだっただろうか、言われてみると、そんな気もする。

 

 「どうしてそんなに平然としているの? そりゃね、あれから何度も何度も繰り返して、色んなサバイバルを覚えたよ? この程度では全然死なないって、君だけじゃない、私だってわかってる。このゲームにおいて一番の問題は食糧で、それを解決する方法が目の前にあるんだもの。そりゃ死なないよ。でもだからって、私はちっとも慣れない。もう君と普通に話をしたりなんかできない。私は何度も何度も君を食べたし、そして何度も食べられたことだってあるはずじゃない。自分のことを、相手のことを、食料として捉えている相手と、呑気におしゃべりなんてできるわけないよ」

 

 彼女はやたら早口でそう言った。あまりに早口なので本当にそう話しているのかもわからなくて、勝手に想像でそんなことを言っているのだろうなと思っているだけなのかもしれない。私は彼女を信頼しているし、彼女も私を信頼している。これは私の夢なのだから、それは間違いがないのだ。

 

 夢の話がゆえ、書いているうちから記憶が蒸発しているが、要するにこんな話だった。雪山で女性と狭い空間に閉じ込められ、互いが互いを捕食できる状態で、自分はずいぶん落ち着いていて、相手は完全に気が狂ってしまっているというだけの話だった。そして当然、相手の視点からすると、気が狂っているのは私の方なのだろう。
 思えば夢に関する本は読んだことがないような気がする。それは、さして面白い情報が出てくるとも思えなかったというだけの理由であるが、何か適当なブルーバックスを一冊読んでみてもいいかもしれない、とは思った。しかし、夢なんてのは記憶を整理している過程で現れる副作用以外の何物でもないはずだ。夢自体に意味はない。外部から新たな情報が入力されない状態で、フィードバックが強い情報を強化し、そうでもない情報を弱体する。そうして所謂、有益、な情報だけを取り出しやすくする仕組みである、と言い切ってしまう。知らんけども。その選別や強化弱体の仕組みはそれなりに面白い気もするが、ひどく単純な話である。本一冊分の時間を使う価値はあるのだろうか。
 夢に現れるからにはそれに類する情報を摂取しているはずだ。なのだが、ここ数年で、雪山登山に関する話なんて見た記憶も読んだ記憶もない。ずいぶん昔に漫画で「孤高の人」を読んで、そして加藤文太郎の本も何冊か読んだことはあるが、全く今回の夢に活かされている部分は見当たらない。人肉についていえば、もうほとんどゼロだ。そりゃあインターネットをふらふらと歩いていれば、そういう取るに足らない些末で感情のみを煽るくだらない記事を目にすることもあるだろうが、ここ最近で言うならば、全く記憶にない。


 しかし少し面白いなと思うのは、なんとなく、わからんでもないからだ。直近で読んだ本およびトピックで言えば、ざっと次のようなものが思い起こされる。人工知能(つまり機械学習とディープラーニング)、論理学、哲学。これらが思った以上に面白かった(扇情的で取るに足らないくだらない情報であった)のかもしれない。考えることを考えているうちに、こんな古い記憶の断片(残滓と言うと格好良い)を掘り返してきたような夢が構成されるというのが、中々にくだらなくて、割と面白い。中途半端な時間に昼寝、ではなく夜寝してしまったのも功を奏したのだろう。左手には読みかけの論考があり、律儀にも人差し指は読みかけのページに差し込んだままであった。