good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

無職界のカイザー

「歌舞伎町の女王」のような雰囲気のタイトルにしたかったのだが、全く思いつかず、投げた。

 


the end of evangelion komm susser tod lyrics

 

まずは90年代屈指のトラウマソングを再生頂き、それをBGMにしながら続きを読んで頂ければ幸いだ。

 

 

私のツイッターは最初にフォローしたアカウントが「カレー沢薫」であり、二番目は「カレー沢薫担当」である。

 

つまり、私はカレー沢薫先生の熱烈なファンである。週刊モーニング紙上で初めてクレムリンを目にした時の衝撃は今でも忘れられない。当時の感想は、こうだ。

 

「こいつら、やりやがったな」

 

誰に対してか。当然、編集部に対してだ。完全に正しい意味で、確信犯としか思えなかったのだ。

 

 

昨今はウェブ媒体の発達もあり、作家の作品発表の場が広がっている。ウェブにおいては紙に印刷したり書店に配本したりする必要がないため、「編集や出版社って必要なの?」という疑問の声も、特にウェブ作家を中心に上がり始めているらしい。

 

それに対して、モーニング、いや、モーニング・ツーは完璧なアンサーを10年前に返していたわけだ。というのも、カレー沢先生がウェブで地道に活動するとは思えない。どう考えても無理だ。先生の捨て鉢な投稿を読んだ編集が即雑誌に掲載するという暴挙。常軌を逸した二つの存在の出会い。この僥倖がなければ、間違いなく世界はカレー沢薫を知らないままであったはずだ。

 

漫画作家のウェブでの活動というと、やはりツイッターは外せないだろう。しかし今、ツイッター漫画家と呼ばれている人たちは、そのへんのサラリーマンよりもマメで細かい営業活動を、誰に強制されることもなく自らの意思で年間365日継続している。これは生半可なことではない。本当に頭が下がる。そしてそんな無間地獄のような社会的行為を、カレー沢先生が出来るとは到底思えないのだ。先生は毎日72時間ツイッターに張り付いているツイッターフリークを自称しておられるが、あれはどう見てもおキャット様の画像に脳を焼かれているだけである。

 

つまりだ。

 

よくぞ拾い上げてくれた、よくぞ正気を失っていてくれた、モーニング・ツー編集部よ。貴方のファインプレーに惜しみない拍手と感謝を、そして軽トラ一杯に積み込んだゴールデングラブを送りたい。

 

父に、ありがとう。母に、さようなら。そして、全ての子供達(チルドレン)に、おめでとう。

 

 

というわけで、今回のテーマは「カレー沢薫」である。地表に溶け落ちたゲル状の物体と成り果てた姿で恐縮だが、夏も真っ盛りということで、今回はこのまま喋らせて頂く。

 

そもそもここで書いている「ある程度形になっている文字列」のほとんどはカレー沢フォーマットを下敷きにしている。絵で言う所のトレースであり完パクだ。カイザーはデビュー作のクレムリンは漫画であるが、今現在は「漫画家兼コラムニスト」として活躍されているのだ(尚、本人は「無職」と言い続けている)。

 

先生のコラムの特徴を端的に表すならば、跳躍距離が人間離れしている。あれは人ではないナニカ、だ。担当編集者から与えられたテーマに対して毎度エキセントリックな怪文書を繰り出すわけだが、その論理展開がどうかしている。「え、どこ行く気やねん」「なんで繋がんの?」「なんで着地できんの?」「完全に頭がおかしい」と、まるでエクストリーム系のウインタースポーツを観ている時のようなエキサイティングで溢れているのだ。

 

突入速度、高さ、中空での人間離れした挙動は、まさに無職界のショーン・ホワイトの名が相応しい。

 

さらに正確に記すならば、例えば素人のパンチは「溜めて」「打つ」というツーモーションであるのに対し、プロボクサーのジャブはノーモーションで飛んでくるという。カイザーの怪文書もそれに近い。避けようがないのだ。突入というフレームがなく、気づけば空を舞っている。小足ですら攻撃判定の発生までに3フレーム程度を要するというのに、ゼロフレで連発される超必。どんなバグだ。画面外に見切れたカイザーを追いかけて私は首を折れるほどに捻じ曲げる。慌ててパンしたカメラがナニカを映す。しかし、太陽を背にして逆光となった彼女が果たしてどんな表情でいるのか、それは誰にも捉えることができない。

 

ようやく興が乗り始めてきた所であるが、先日比較的長めのエントリーを書いたせいか、あるいは前置きが無駄に長かったせいか、早くも疲れてきた。よって今回はここで切り上げておくが、仮に先生の著書をどれか一冊選べと言われたならば「カレー沢薫の廃人日記 オタク沼地獄」が Strong Buy と言っておく。

 

カレー沢薫の廃人日記 オタク沼地獄

カレー沢薫の廃人日記 オタク沼地獄

 

スマートフォンの課金型ゲームを多少なりとも嗜んだことがある人ならば、必ずや(物理的に)刺さるものがあるはずだ。読了後の五体満足保証はできかねるため、ノークレーム・ノーリターンでお願いしたい。私はあまりの濃さに何度も嘔吐しかけた。文章が後頭部に打撃痕を残すこともあると、初めて教えてくれた一冊だ。ペンは銃よりも強しというが、「銃で撃ち抜かれるよりもモーニングスターで頭をカチ割られる方が後遺症は残りやすい」という格言も忘れてはならない。

 

たしか昔に遠い国にお住いのゲバラさんとかいう人が「打撃は絶え間なく与えねばならぬ」だなんて言っていた。時系列が多少時空を超越するが、それを聞いた私は「知ってるよ、喧嘩商売の煉獄じゃん、強いよね」とそっけなく受け流していた。想像力が足りなかったのだ。絶え間ぬ打撃を受ける側がどのような目に合うのか分かっていなかったのだ。クソガキの名に相応しい当時の貴様に教えてやる。これがそれだ。これが、煉獄だ。

 

 

参考までに、冒頭を引用しておく。引用が本文よりも長い気もするが、カレー沢先生ならば許してくれるような気がする。

 

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ポストしたあとで、スマートフォンで見ると画像の拡大ができなくて全く読めないことに気がついたが、先述したように、弾を六発込めたロシアンルーレットに興じた時の体験を思い返して頂ければだいたいそれであっている。

 

また、本エントリーを起こすにあたり改めて読み返してみたのだが、全く記憶にないエピソードが数多く収録されていることにも驚いた。新鮮な初読感のあるエピソードの傾向から推察するに、脳の自己防衛反応が働いたものと思われる。漫画やアニメを見ていると、凄惨な事件の現場に出くわすことで事件前後の記憶が失われてしまったキャラクターが登場することがある。つまり、そういうことだ。

 

とんだモンスタークレーマーのようになってしまったが、私のカレー沢愛は本物だとも思う。単に、激しい脳挫傷により正しく言葉を紡ぐことができないだけだ。本項ではカレー沢先生の攻撃力にのみフォーカスしてしまったが、実際のところ、真に着目すべき点は他にある。その辺りについても是非記しておきたいが、まずは頭蓋骨の陥没を修復する必要があるだろう。