good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

働き方改革

今回のテーマは「働き方改革」である。タイムリーでもなければセピア色と言う程にも古くはない。世間から半世紀ほど遅れた話題を取り扱いたがるのは中年の特徴と言えよう。

 

初めて耳にした時の感想を一言でいうと「しゃらくせぇ」であった。二言目を付け加えるならば「うさんくせぇ」となる。自ら取り上げておいて出だしからケチをつけていく、質の悪い当たり屋のようなエントリーである。

 

いつ頃から使われ始めた言葉なのかもよく分からないが、これは今に始まったことではない。奴らはいつだって気が付けば日常に気配を溶け込ませているものだ。また、ワークライフバランス然り、プレミアムフライデー然り、お上の言葉は大体にして「しゃらくせぇ」以外の感情を生まないことに定評がある。例外は「年金2000万円不足」であり、これは多少のリアリティがあって中々よかった。もっとも、不足しているのは2000万円程度ではない気もするが。

 

働き方改革(読み)はたらきかたかいかく

2016年8月に閣議決定した安倍政権による経済対策の一つ。働き方の抜本的な改革を行い、企業文化や社会風土も含めて変えようとするもの。多様な働き方を可能とするとともに、格差の固定化を回避して中間層の厚みを増し、成長と分配の好循環を図る狙いがあり、一億総活躍社会実現に向けた最大のチャレンジとされている。具体例として、長時間労働の抑制、副業解禁、朝型勤務などが挙げられる。

コトバンクより

 

「~ンジとされている。」までに綴られたポエムは意味がよく分からないが、最後の一文だけは具体的である。本政策が立案・公布される前年には電通社員の過労自殺が社会問題として取り上げられており、その背景もあってか「長時間労働の抑制」という言葉は好意的に捉えられる向きもあったように記憶している。しかし、いざ始まってみると何かがおかしかった。目が覚めた瞬間に遅刻を確信する朝のような違和感で満たされた。体制側は、強制消灯や押しかけラグビーで在社時間を削り取ることには躍起な割に、求める仕事量や成果はちっとも減っちゃあいないのだ。つまり、これまで1日36時間かけて終わらせていた仕事を、これからは18時間でやれというわけだ。確かにチャレンジングである。

 

使用可能なリソースの抑制。これはゲームで言う所の縛りプレイであり、一億総国民が「ナイフ一本でバイオハザードをクリアしろ」と命ぜられているに等しい。もちろん、縛りプレイ自体には罪はない。「『ゴールデンアイ 007』はたった一発の弾丸だけでクリアできる」も記憶に新しいように、それは物事の本質を解き明かすようなエキサイティングな遊び方である。しかし、それはあくまで平凡に退屈した上級者向けのスタイルであり、そんなマニアックなプレイを全国民に求められても困るのだ。

 

さらに言えば、マニアッカーの中でも趣味や嗜好は大きく異なるものだ。私個人にしても、精神面を攻撃してくる物語は嗜むが、緊縛や切断といった物理的な痛みを伴うものは何が面白いのか全く分からない。惣流・アスカ・ラングレーが15番目の使徒により精神汚染を受けるシーンには瞳孔を開きながら前のめりになるが、量産型に身体を食いちぎられるシーンは「なにこれグロい」と顔を背ける塩梅である。可哀そうになるので止めて頂きたい。

 

相変わらず文句ばかりを書いているが、ポジティブな施策もある。例えば、テレワークは使いようによっては便利な仕組みかもしれない。これは勤務場所をオフィスの外にも広げることで、時間や場所に制限されない働き方を実現するというものだ。

 

特に2019年7月22日~9月6日はテレワーク・デイズと名付けられ、本企画に参加する企業の社員は、期間中に5日以上のテレワークの実施が推奨されている。ネーミングがユースフル・デイズのようでシャレオツである。にわか雨が通り過ぎてった午後の空を映す水たまりが想起されてしまう。思わず懐かしくなったのでYouTubeを検索してみたが、久々に映像で見る彼らは思っていたよりも脳内イメージとギャップがあり、少し驚いた。声や歌い方、こんなだっただろうか。

 

テレワーク・デイズ。要するに「東京オリンピックの間はてめぇら下々は邪魔だから家に引っ込んどけ」というのが趣旨であり、東オリ中と言わず永劫に渡って家に引き籠りたい労働者にとっても諸手を挙げて賛同したい企画である。珍しく利害関係が一致、絵に描いたようなWin-Winである。会議などでWin-Winという言葉を聞くたびに「電マかな?」という思いと共に形容しがたい表情になってしまうので止めてほしい。

 

私の勤め先も本企画に参加することになったわけだが、会社の上層部の方々が検討した結果、その実施にあたって多少のレギュレーションが定められることとなった。端を発した懸念事項を直訳すると「お前らが一人で家で仕事をするとは思えねぇ」という、わかる、としか言いようがないものだ。信頼関係は一切無いが、意外とよく見ているなと思う。

 

その対策としては、「住居が近い者同士はどこか近隣で共に業務を遂行することを強く推奨する」が付け加えられた。なるほど、五人組のように互いを監視させるわけだ。早くも時間や場所を制限されまくっている。ファーストフィルターで当初の理念や思想は失われ、始まる前から形骸化していた。冒頭の2000万円問題の発表から撤回や、あるいは7payのサービスインからアウトのように、何事もスピード感が重視される世の中なのである。

 

強く推奨とは、務め人にとってはMUST(しなければならない)と理解すれば間違いない。従って、私も比較的近隣の同僚数人と本ミッションの遂行にあたって検討の場を持った。そこで出た主な議題は、PS4はあるのか、スイッチはあるのか、ソフトは何があるのか、コントローラーは各自持ち込みか、酒はどうするのか、家族には何と説明するのか、などであった。オフィスを離れて家で一人で仕事をするわけがないという読みまではよかったが、そいつらが集まればもっと仕事をしないということに何故届かなかったのだろうか。

 

鎖で縛られた労働者を世に解き放つテレワークは企業や政府にとって諸刃の剣ともなる。そこで生まれるのは働き方の改革のようなちっぽけな話ではなく、プロレタリアートによる革命の火種なのかもしれない。