good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

感想文「真昼の暗黒」

※大いにネタバレを含む。

 

要するに本エントリーは、制作者個人に宛てた感想文である。届くかどうか、それは知ったことではない。

 

自慢ではないが本ブログはとにかくアクセスが少ない。だから私はここで植物のように平穏な生活を送ることができる。こういう静けさは嫌いではない。故に、わざわざこんなページが、もしも今開かれているのならば、そういうことなのだろう。そこにいるクソ虫。あなたのことだ。サイテー野郎のサイコパス。何をどう間違えればこんなものを作ってしまうのか。私には理解できない。

 

https://www.freem.ne.jp/win/game/18312
真昼の暗黒 - Darkness at Noon

 

極めて趣味が悪いと思った。悪意の塊のような物語ではないか。本作は苛烈な性的描写有り、凄惨な残虐描写有り、慈悲容赦無し、のいわゆる有り有り無しの規定で紡がれるノベルゲームである。よくこれでR-18にならなかったものだ。タイトルからして不穏な空気を感じさせはするが、ここまでのものとは、ちょっと予想できなかった。これが普通のノベルゲームならば、早々に終了してフォルダごと削除していただろう。Shift + Del。ゴミ箱にも残さない。しかし、私はそうしなかった。いや、できなかった。気分が悪くなるのを堪えながらも読み進める。それ以外の選択肢は無かった。このゲームのやけに凝った作りが、目を背けるな、歯を食いしばれ、そして噛み砕け、ゆっくりと咀嚼しろ、そう、無言の圧力をかけ続けてくるのだ。

 

ゲームを起動すると旧世代の Windows を思い起こさせるような、妙に古めかしいデスクトップ画面が現れる。プレイヤーはそのデスクトップに置かれたフォルダや実行ファイルを起動することで物語をロードする。

 

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いわゆる疑似ユーザー・インターフェース。特別に新しくもない。少なくとも Playstation の serial experiments lain でとうの昔に行われていた(それ以前にもきっとあっただろうが、残念ながら私は知らない)。発売時期からすると20年以上前には在ったわけだ。最近の作品だと her story や Replica、そして DDLC あたりも同系列と言えるだろう。だから、あぁまたこのタイプか、くらいにしか思わない。だがここで重要なのは、本形式で提供されるゲームの多くは、物語の内容の外に主たるテーマが置かれているということだ(隙あらば主張したい。lain は本当に素晴らしかった。物語とシステムの完全なる融合。激烈な操作性の悪さすらも、むしろ演出と捉えられる。lain は遍在するのだ)。明確なメタ構造、それ自体に意味を持たせていると考えて大体は間違いがない。

 

すなわちこれは、作者が単に感情の赴くままに品の無い妄想を垂れ流しているわけではなく、極めて計算して作られていることを予感させる。こいつは、プレイヤーが、これを読めばどのような感情を抱くかをおおよそ理解した上で、下劣な物語を展開している。いったい何が目的なのか。その理由、犯行動機を知りたくなるのは当然の反応ではないか。私は考える。ゲームの帰結はきっとここに至るであろうと。一体これは誰のデスクトップなんだ、誰のパソコンなんだ?

 


そんな風に、いかにも冷静に観察できていたのは、どのエピソードまでだっただろうか。やがて私は憑りつかれていた。他人のパソコンを覗き見る行為は、なぜかくも背徳的で興奮するのだろう。ほんの少しUIが変わっただけだ。味気ないが機能美溢れるストーリーチャートを、見慣れたオペレーティングシステムに、フォルダとファイルに置き換える。それだけで、プレイヤーの行動の意味は完全に変わる。下卑た物語と思うのなら見なければいい。ただのフリーゲームだ。くだらない。私は本作に対して1円だって払っていない。今すぐに終了すればいい。にも関わらず、私は能動的にフォルダを開き、隠しファイルを探し、より刺激の強い物語を、真実らしきものを、一片の救いや絶望を読みたいと欲していた。最低なのは一体どっちの方だ。

  

時代設定にそぐわないラップトップというアイテム。ガリガリと音を立ててデータを読み込む鈍足なハードディスク。時折、しかし明らかに誰かを意識した彼女の言葉。何もかもがおかしい。ただの一つも理路が繋がっていなかった。作者が何を考えているのか掴めなかった。輪郭が消失していた。許してほしかった。もう勘弁してほしかった。十分だろう。あなたが何を伝えたいのかは理解できないが、伝えるべき何かを備えていることだけは疑いようがない。

 

 

物語を読む読者にとって、作者というのは神に等しい存在である。読者にできることなど、祈る以外にはないのだ。それが幸せな話ならば、きっとこのまま暖かな何処かへ誘ってくれるに違いないと期待する。それが悲しい話ならば、一欠けらの赦しを与えてほしいと懇願する。これは読者が作者を信頼するからこそ成立する関係であり、もしも神たる作者が、僅かばかりも読者に興味がないのだとしたら、最初から見放すつもりであるならば、いや、もっと、ドス黒い何かで斬りつけるつもりでいるならば。

 

 


そして私はプレイを終える。収める場所を知らない感情がべったりと纏わり付いていて、指一本を動かすことすら憚られた。形を持った狂気に触れた実感があった。何も考えたくはなかった。頼りない足取りでのろのろとキッチンに向かいタバコに火を点け、煩わしい換気扇の音に目を凝らす。すると信じられないことに、制作者に対する強い嫌悪感が、この単純な自分が本当に嫌になるのだが、しかし、霧散していることに気づくのだ。そこに残っているのは深い同情なのか、共感……とは言い難い、愛情の方がまだマシだ、言葉は見つからない。これがどこまで狙って作られたのかが読めない、分からない。それでも、少なくとも、作者が何らかの埋めようのない虚ろに貫かれていることだけは間違いがないように思われた。ただの演出意図だけで作れるような代物ではない。だから言わなければならない。私はあなたの血の滴るような覚悟に感謝したい。つまり、私はまんまとロードを完了したようだ、おめでとう。