good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

のーまーしー

なるべく手が汚れないように最小限の接点で持とうとしたそれは、思いのほか固められておらず、指先に残った僅かな米粒から分離して、本体は重力に任せて自由落下を始める――

 

[おにぎりが地面に落ちた音]

 

3秒ルールなんてのはいかにも曖昧な概念だ。何を落としたかで容易に判定が変わってしまう。クッキーやクラッカーなら10分経ってもセーフかもしれないが、飴玉やガムなら即詰みであり、打つ手はない。駒台に軽く右手をかざしながら頭を垂れて言葉を絞り出す、負けました。

 

ではおにぎりならどうか。落とした面の反対側に関して言えば、あるいはジュリーに判断を仰ぐ場面もあるかもしれない。が、そこまでしてMOTTAINAI精神を遵守する必死さと、食べ物を粗末にしたという罪悪感を天秤にかければ、まぁ静かに拾い上げてコンビニ袋に戻し、どこかのダストボックスにシュートするのが最善の選択なように思える。

 

[剥き出しの電線がバチバチと火花を上げる音]

 

月がきれいですね、とは何の小説の誰のセリフだったのか、全く思い出せない、というよりも恐らく読んだことがない。あまりにたくさん引用されすぎているので、一度も体験してないが体験した気になっている、の代表格を地で行くやつだ。シリアスにせよギャグにせよ、大抵は印象深いシーンで使われるので、もしかすると原作の意味以上に神格化してしまっているのかもしれない、いやそれはさすがに原作者に失礼か。それにしてもまったく、今日は月がきれいだ。

 

[ヤツらが押し寄せてくる音]

 

写真はいい。自分で撮ることはほとんどないが、人が撮影した写真を見るのは面白い。その瞬間に美しさなり侘しさなりを見つけて、切り取った一枚には、撮影者の想いが込められている。ただの情報ではなく溢れ出す感情にこそ価値があると思うのだ。

 

自分で撮ることはないと言ったが、若干ウソだ。私は一眼レフを持っている。今手元にはないが、充電すればまだ動くだろう。ゴツい本体にゴツいレンズ、あのメカメカしさに惹かれない男はそういない、一度は興味を持つはずだ。そして自分で持ってみて分かったことがある。一眼が優れているのは画質やボケの表現なんかではない。最大のメリットは、地べたに這いつくばってペンペン草を撮影するような不審者丸出しの挙動を取っても、「まぁそんな変態もいるか」という感じで周囲から許されるような気がする、ということにある。

 

これがスマートフォンならばそうはいかない、完全に事案になってしまう。よってスマホでの撮影は一見気軽に見えて、むしろ一眼よりも難しいと言える。そこには撮影技術以前に、撮影者としてのさりげなさやスタイリッシュさが求められるのだ。

 

[右腕を食いちぎられる音]

 

年末のSteamセールでも30本ほどのゲームを買った。そのうちの一つ、ベヨネッタは数時間プレイして、コントローラーを置いた。決してつまらないわけではないが、かなり厳しい。なんせ使うボタンが多すぎる、コンボが複雑すぎる、こんなもの覚えられるか、ふざけるな。もう少しオッサンを労われ、反省しろゲイブ、そして神谷。

 

最近の若者、という表現はあまり使いたくないので、未来を託されし者(キャリー・ザ・フューチャー)とでもしておくが、彼らはこれについていけるというのか、大したものだな、キャリー・ザ・フューチャーよ。時間と経済力と体力は気に留めていたが、先に気力や集中力が尽きる可能性は考えていなかった。これがブラック・スワンか、間違いなく違う、単なる人為的ミスだろう。きっと面白いはずのゲームなのに、

 

[頭部が消失する音]

 

自身のステータスダウンで徐々に付いていけなくなるのは悔しいことだ。このギャップを簡単に許していいのか、そんなわけにはいかない。私は飽きっぽい性格であるが、同時に諦めも悪い。

 

[心臓の鼓動が止まる音]

 

それが、どうしたというんだ?