good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

2019年3月26日

インターネットは感情の増幅装置であり、そして人はネガティブな感情ほどバイアスをかけ共鳴してしまう。インターネットはどこへ行こうというのか。

 

高二病なのか大二病なのか高山病なのかはよくわからないが、花粉と共に運ばれてきた何かに罹患してしまっている。その結果、極めてどうでもいい、かつ木っ端庶民にはどうしようもないことに憂いを抱きゲンナリしている今日この頃である。畜生め、やはり人がインターネッツに出会うのは少し早すぎたのではないのか。バールのようなバールでモノリスを叩き割ってジュピターにさよならを伝えるべきだ。

 

 

捨てる神がいれば拾う神もいると云う。とあるトラシューを行なっていた。難易度としてはそれほどの問題ではない。見た瞬間におおよその原因はあたりが付いて、あとは追い詰めるだけ、という所まで肉薄できる程度のものである。しかし真にシューティングを完了させるためには、おおよそやなんとなくではいけない。確実な証拠や崩しようのないロジックが必要だ。

 

となれば、次に向かうのはもちろん検索である。我々にはグーグル神がついている、力を借りない手はない。ほどなくして、数多くのサイトの中から、ただ一つだけ、限りなく正解に近い情報を見つけるに至った。本エントリ外のあとの時系列においてもキーワードを変えて検索を繰り返したが、そこ以上に正しい情報は見つけられなかったので、たいしたサイト主であると思う。全く見知らぬ方ではあるが、深い感謝の言葉と気持ちをここで勝手に送らせて頂く。大変助かりました。ありがとうございます。

 

サイト主を目いっぱい持ち上げておいてなんだが(その気持ちに嘘はない)、その記事には執筆にあたり参考にしたURLが提示されていた。そしてそれは、古い昔に私自身が書いたものだった。ということはつまりだ。かつての私が精緻に書かなかったとすれば、あるいは誤った情報を書いたとすれば、そこにその記事は生まれなかった可能性が十分にあり得る。私は今頃3月26日の73時08分だかのうるう日を彷徨っていたのかもしれない。

 

過去の私が残した記録を元に何処かの誰かが練度を増した記事を書き、それに将来の私自身が助けられる。なるほど、目眩がした。これがティム・バーナーズ・リーが想像したインターネットの力、ハイパーリンクの力ではないのか。今更それに気づくのか、そうだ、今更それに気づいた。

 

もちろんだからと言って、人はみな有用な情報だけを書くべきだなんてことは思わない。何より私自身が、できるだけ意味のない文字列、可能な限り価値のない文字列を書きたいとすら思っている。自我を捨てろ、自意識を捨てろ、それがシュタインさんの選択だ。

 

 

これはまったくもって詩的な感情論にすぎないが、自身が真摯に書いたことであれば、それがどんなものでもいつかは 誰か ではなく 自分 に対して呼応する何かに変貌する可能性を秘めているのではないのか、そんな風に勝手な希望を抱いていいのではないか。CENTER OF UNIVERSEのように、テッテー的に自己中心であるべきではないのか。そうした都合のいい欺瞞で自分を騙し込める程度には、インパクトをもつコンタクトであったと解釈してしまいたい。

 

来週には2019年度が始まる、新しい戦が始まる、要するに時すでにトゥーレイトゥダイである。しようもない妄想でダウナーを気取っているヒマがあるなら腹を掻っ捌いてDIYしたレッドカーペットを歩き、もぎたてのゲンジツを生絞れ。