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140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

EPIC2014によろしく

『プロが商業漫画を「〇〇が△△な話」としてツイッターで宣伝するのはモヤモヤする』という話題を見かけた。

 

 

それは2004年に作られたFlashムービーで、当時から見て10年先の2014年までを描いた架空のドキュメンタリーだ。かなり話題になったので、覚えている方も多いのではないだろうか。

 

 

簡単に内容をまとめると、GoogleとAmazonが合併して設立されたGooglezonがデータ経済圏を支配して、既存のマスメディアを駆逐するというディストピア(?)のお話だ。2019年のいま見ると解像度が残念な感はあるが、映像・BGM・そして退廃的なストーリーが超かっこよく、超クールなので、数年に一度は見たくなる中毒性がある。

 

ムービーの内容自体は割と当たっていたり、まるで外していたりとまちまちなのだけど、そこはまぁどうでもよいのだ。Wikipediaにも「スローンは作品内のことが将来実際起こるとは信じておらず、特にGoogleとAmazonが合併することも信じていない。」とある。ただ、私は初見の時から強烈に印象に残っている部分がある。

 

誰にとっても、メディアを作り出すと同時に消費することがこれほど簡単にできたことはなかった。

 

ここだ。

 

2000年代半ばはアルファブロガーというキーワードがパワーを持っていたので、その流れに沿って生まれたメッセージだろうとは思う。でも、2014年が過ぎ去り、2020年を目前に控えた今、おそらくEPIC2014の製作者の想像を遥かに超えるほどに、この勢いは増しているのではないか。

 

今や誰もが消費者であり、そして兼クリエイターだ。こうやってブログを書くという行為もそうだし、ゲームプレイだって消費と同時にコンテンツとなり、TwitchやYouTubeに投稿されている。ツイッターに「うんこなう」と一言ポストするだけで、どこかの誰かがそれを見てコンマ1秒ほど消費して、その時点でポスト主はクリエイターとなる。「うんこなう」は立派なコンテンツなのだ。過去1万年でこれほどまでに何かを作ることのハードルが低かったことはなく、そして今後も当面は下がり続けるのではないか。

 

誰もがクリエイターになるとどうなるのか、それは当然、消費者が、不足する。

 

世の中が面白いコンテンツで溢れ返ってしまう。

 

あまりにも有意義で役に立つ情報で満ち満ちてしまう。

 

テレビ vs インターネットという対立はもはやノスタルジーすら感じる、古き良き時代だ。今はYouTubeが、各種SNSが、Netflixが、フォートナイトが、あらゆるものが消費者を奪い合っている。そしてようやく捕まえたと思った消費者は二次コンテンツを生み出し、やがて一次コンテンツを食い始めるという奇妙なネスト構造すら生まれている。わけがわからない。

 

EPIC2014の世界はこう締めくくられる。

 

しかし、最悪の場合、多くの人にとって、EPICはささいな情報の単なる寄せ集めになる。その多くが事実ではなく狭く浅く、そして扇情的な内容となる。

しかし、EPICは、私たちが求めたものであり、選んだものである。

 

確かにそういうものも多いことは否定しないが、何がささいで何が取るに足るものなのかは、(これは使うと全ての話が終わってしまう禁句ではあるのだけど)人それぞれだ。誰もが、自身の望むコンテンツと情報で包まれたやわらかな世界で生きることができる今は、それほど悪いものではない。

 

 

というようなことが、冒頭の話題を見ていて頭によぎった。消費者にとっては心地よい世界でも、クリエイターにとってはこんなに苦しく、刺激的な時代はない。

今、一人の消費者兼うんこなうクリエイターにできることはなにか。それは好きなもので経済を回すことだ。自身の求めるEPICに少しでも近づくよう、義務と権利を行使していこうと思う。