good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

なんか思ったんだけどさ、八つの枢要罪(「飽食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」)とか、七つの大罪(「傲慢」、「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「強欲」、「飽食」、「色欲」)なんてのがあるけど、「強欲」だけ浮いてやしないか。他の罪は強欲と強い関連があるか、強欲に端を発して生まれている気がするんだよね。試しに七つの大罪でやってみようか。

 

  • 傲慢:自身を無根拠に優れた存在であると見做している強欲
  • 嫉妬:他者が自身よりいい目にあってるのが許せないという強欲
  • 憤怒:世の中が自分の思い通りになってほしいと考える強欲
  • 怠惰:楽をして生きたいという強欲
  • 飽食:飢えた人がいても自身だけは満ちていたいと考える強欲
  • 色欲:??? 

 

色欲だけちょっとわからないけど、そこは目を瞑っておこう。憤怒あたりも、どうかな…。何に対して怒りを覚えるかで結構変わるよな、実際。
まぁいいや。やはり強欲で概ね説明できてしまう気がする。としておく。

 

で、強欲ってのは社会的に認められている平均的な欲求を大きく上回っている状態を意味していると思われるので、その「平均的な欲求」の数値や閾値をどこに置くかで強欲、つまり七つの大罪が現出しているかどうかが決まってしまう。

 

でだ、それでだ、強欲は本当に避けるべきことなのだろうか。大罪ってのは七英雄みたいに並べてドヤられるほど悪いことなのかって話なわけよ。私は(多分)無宗教だけど、仏教の一切皆苦(世の中は自分の思い通りにならない)の概念には割と共感していて、だいたいにおいて諦念の感情から入ってしまう。するとほとんどの罪は消えるか薄れてしまうことになるのだけれど、それはそれで社会への貢献意欲が薄い無色のアウトローらしき者が生まれてしまうというのは、一体どうすりゃいいのだろうね?

 

世の中を作る人、閉塞を切り開いて道を作る人なんてのは、強欲の化け物みたいな存在が多い。クラークさんの「少年よ、大志を抱け」なんて言い換えると「欲に塗れよ!(心臓を捧げよ!のイメージで再生してほしい)」になってしまうし、事実、欲がなければ何もできないのは強く実感するところでもある。

 

あー、ようやく今これを書いて(考えて)いた理由がわかった気がするな…? 私は自分の無欲さにほとほと嫌気がさしているんだな、多分。「自分の無欲さ」って書いてみるとお前本気かって感じがするけど、実際そんなないしなぁ…、そんな何かを強く求めたりすることある? なくない? いやー、だからねぇ、理性では抑えきれないような自己中心的で薄汚い欲求が、私にもあったらよかったのになぁと思っているわけだよ。いい加減そういうのから離れろよと思いながらも、とはいえヒマでヒマでしょうがないし、学校ないし家庭もないし、カーテンはあるけど花瓶はないし。退屈からの脱却ってのはまだまだ尾を引くテーマな気がするね。

 

欲に塗れてー。

 

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