good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

金の話しか出てこない。

 

のっけから陳腐な表現になるが、頭の中に霧がかかったような状態で一年を過ごしていた。思考能力が以前の半分か十分の一とかに落ちているような気がする。何も考えられないし何をしたのか覚えていない。覚えていないというよりも、きっと何もしていない。寝室で目を覚まして二度寝してそのうち起きてたまに寝坊して目を覚ましてシャワーを浴びてリビングで会社支給のノートPCを立ち上げて仕事をして深夜になると近所のコンビニで食料を調達してそれを胃に流し込んでしばらくだらだらすると眠りに就いてまた起きていた。

 

何もする気が起きないので苦手な映像媒体の作品を楽しむことが増えた。映像媒体はやる気がない人間にうってつけだ。ゲームのように主体的に操作をしなくても、本のように自分でページをめくらなくても、映像媒体なら時間が経てば自動的に消化することができる。

 

私がこうなった原因はいくつか考えられるが、その中の有力な一因として当たりを付けていることがある。私の人生の目標は無職になることであるが、この目標を達成するために今しなければならないことは、ただ待つことなのだ。

 

無職になるためには経済力が必要だ。だから私は投資を続けている。投資対象の企業が素晴らしい業績を上げて一株当たり利益を爆発的に増やしてくれることを待っている。もう私は努力しない。努力頂くのは投資先の企業の社員の皆様である。

 

投資家にもっとも必要な能力は何か。それは鈍感であることだと思う。日々のどうでもいい値動きに心を乱されず、ただ待つことができる者だけが爆発的なパフォーマンスを上げることができる。

 

投資を始めて約一年が経った頃だっただろうか。意味不明な暴落(暴落は常に意味不明である)で、一日で資産が150万ほど吹っ飛んだ。連日の株安で日々数十万単位で資産が削られて、一体いつになったら底打ちするのか見えない不安を、どうせそのうち戻るだろうと空楽観で塗り潰しながらも、メンタルは確実にダメージを負っていたのだろう。客先での打ち合わせを終えて、12時過ぎの混雑したモスバーガーの店内でスマートフォンの証券アプリを立ち上げると、150万円超が消えているのを見て、直近高値から遂に何百万が消えたことを理解して、頭がクラクラとしたあの感触。全国チェーン店のハンバーガーの味はどこでも同じなのに、あの時あの店で食べたチキンナゲットとテリヤキバーガーの味だけは再現されることがない。

 

今はなんでもない日でもそれ以上の金額が当たり前のように動く。上がっても下がっても何も感じなくなった。日々の値動きなんてどうだっていいのだ。重要なのは一株当たり利益の成長。それ以外のことで心は動かなくなった。決算発表日に適時開示情報閲覧サービスにアクセスして対象銘柄の名前を探し、「業績予想の修正」の一文を見つけたあの瞬間にだけ、目に活きた光が少しだけ戻ってくる。

 

無職になって何がしたいということもない。単に社会との繋がりを絶ちたいのだ。時間や曜日の概念を気にせず、眠りたいときに眠り腹が減ったらメシを食う、そんな犬畜生のような生活こそが私の願いである。

 

一般的には褒められる目標ではないのかもしれない。かけがえのない人生をドブに捨てているという人もいるだろう。だが私はそうは思わない。私はもう、やりたいことを全てやったのだ。もう満足したし、不満もない。やり残しがある人間だけが頑張ればいい。私は全てを成し遂げた。