good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

固有名詞は適当に置換しています

19時30分過ぎ。私は会社を出て、最寄り駅の改札口に向かって歩いていた。ここ最近はたいしてシゴトがない、ありていに言うとヒマだ、少なくとも今月末まではヒマージェンシーなのだ。なので帰宅時間も早い。さて今日は何をしようかと考えながらぼんやりと歩いていた。とその時、誰かの手が私の背中をぽんと叩いた。

 

「キサラギ、キサラギイキマスカ?」

 

年の頃は40代後半、身長180cm弱、やせ気味で金髪、そして紳士的なオーラに身を包んだビジネスマンが立っていた。彼の表情は不安に覆われている。言葉の通り、ここから出る電車がキサラギに辿りつくのかを知りたがっているようだ。

 

「えぇ、如月駅ならここから乗ればいいですよ。あっちのホームの電車ですね。」

 

日本語で話しかけられたので、ならば通じるのだろうと思い、私も日本語で答えた。しかし全く伝わっている気配がなかった。彼は定型パターンのスピーキングはできても、リスニングはできないタイプの日本語の使い手だった。

 

にわかに緊張が走る。私は英語はさっぱりわからない、躊躇なく使える異国の言葉は glhf、u2、gg の3つしかないのだ。しかし如月はここから乗り換えなしで20分と少し、彼は何の心配もする必要がなかった。

 

「シュア、ザットサイドホーム、アンド・ライドザトレイン、ネクストステーション・イズ・キサラギ」

 

頭のてっぺんから足の指先まで、全身の英語力をふり絞ってパーフェクトな説明を試みた。あなたは何も不安に思うことはなく、それはとても容易いことなんだよ、という意味を込めて、くだけた微笑まで付けておいた。

 

それでも彼の表情は曇るばかりだった。「Next? I'd like to ...<聞き取れず>」と畳みかけてくる、あくまで紳士的に。

 

仕方がないので「オーケイ、レッツゴー、カモン」と腕を引き、共に駅構内に入る。そこでようやく何かを理解してくれたのか、彼は「オー、アリガト。トテモエイゴウマイネー」と微笑んでいる。私も「そちらこそ日本語お上手ですね」と返す。なんだこれは。

 

構内の階段を降りてホームに立つと電光掲示板が見えた。運のいいことに彼の目的地が終着駅として表示されている。

 

「キャンユールックアットザットディスプレイ?」

 

「oh, thank you! ドウモアリガートウ!」

 

「イエイエ、ドウイタシマーシテ」

 

なんだかよくわからないが、何とかナビゲートできたことに安堵して、私は彼とそこで別れた。ほどなくしてホームに電車がやってきて、私はそれに乗り込む。そして気づいた。彼の目的地は全く「ネクストステーション」ではない。あくまで私の降りる駅の隣なだけであって、ここからは10駅近くある。彼の訝しげな表情の意味がようやく理解できた。そしてこんな簡単なことさえ英語で考えると意味を紡げないのは、なんとも面白いことだなと思った。

 

20分ほどして私は電車を降りて、ホームを歩きながら電車の中に彼を探してみると、つり革を持ちながらスマートフォンを眺めている姿が見えた。

 

東京オリンピックが近づけばこういう機会も増えるのかもしれないな、そもそもこれからもゲームをやりたいならやはり英語は避けて通れないのではないか、そんなことを漠然と考えているうちに改札口は近づいてくる。スーツの右内ポケットに入れたスマートフォンを左手で取り出し、わずかに歩を緩めながらICカードリーダーにかざす。ピッという電子音が鳴ったことを確認してから、私は左足の指裏に力を入れてコンクリートの床を踏み込み、改札口を抜けた。