good luck have fun.

140文字に収まらないことや、140文字に収まることを書きます

解像度

こんなツイートが流れてきた。とある漫画における製作話(フィクション入り)だ。

 

※当該漫画に関するネタバレが含まれていることにご留意ください

 

連載を終えて一息ついても尚、これだけの咆哮をあげる人のものならば、そこにはきっと知るべきものがあるに違いないと思い、単行本を買って読んでみた。

 

私はアフタヌーンを毎号購入している。だから本作もリアルタイムで第1話は読んでいた。その時の感想は「画がすごいけどなんだかよくわからないし難しそうだな」といったものであり、2話からは追うのを辞めた。

 

 

今、理解できる、すごく面白い。上の製作話モーメントには作品自体の解説は含まれていない。だから、私が持っている知識背景に当時との違いはさほどない。変わったのは、情報を受け入れようとしたのか、それを見ようとしたのか、そんな私の姿勢だけだ。この事象を題材にしたと思われる古いベストセラー新書があるかと思うが、タイトルは伏せる(読んでいないし読む気もない)。

 

先日、こんなツイートを投げた。

 

 

私たちは、世が世なら長老と呼ばれるような存在をも遥かに超えるような、膨大な情報を持って生きている。そして、人間はそんな大量の情報を適切に扱えるように設計されていない、キャパシティオーバーであり、無理だ。

 

見たくもないような、知りたくもないような、映像・画像・文章・音声が脳に絶え間なく流れ込んでくる。それは欲するものとも混ざり合っていて、一見してそれとはわからない。だからフィルタリングしなければならない、解像度を落とさなければならない、意味をとらえる前に permit deny の判定を下し、脳に与える負荷を下げないとハングアップしてしまう。

 

結果、なんらかの作品を体験する際にも、そんな情報処理を無意識に行うようになっていたのかもしれない。これは以前に見たあのパターン、それはこのパターン、そしてこれは……よくわからないから deny 。既に持っている箱にカテゴライズするだけの作業にすぎないならば、最初から読む必要なんてない、見る行動に価値なんてない。私はいったい何をやっていたのだろう。

 

 

そしてこれまでと同様に、この文字列は2話の途中までしか読んでいない状態で書いている。別にこんな態度を好きで取っているわけでもなければ、ネタに走っているわけでもない。緊張して、笑えて、泣けて、これだけ五感を刺激されて、さらりと読み進めることなどできるわけがないのだ。

  

ダレカノセカイ(1) (アフタヌーンKC)

ダレカノセカイ(1) (アフタヌーンKC)

 

読み終えて今、とてもおもしろかった。

 

 

追記:

冒頭のおまけ漫画の中で最後に読んでいるのは珈琲時間(とよつばと、他)らしい。たしかによく見るとそうだ、全然きづかなかった、意外な所で繋がってかなり驚いた。そしてメンの土台がぐらついた時に必要なのは一杯の珈琲であることが図らずも証明されてしまった。